円満井会定例にて『葛城』を舞わせて頂きました。
皆様どうも有り難うございました。
反省点ばかりで、たまには出来た所を見つけようとも思うのですが、最終的には「もう一度やり直したい。」といういつもの結論に行き着くのでした。
ありのままの姿みせるのよ。
ありのままの自分になるの。
エルサにはなれなかった葛城の神。
体を縛る蔦葛は山伏の勤行によって解けたのかもしれないけれど、心の蔦は今もきっと彼女の心を縛っている。
彼女は本当に醜いのか、思い込みなのかわからないけれど。
少なくとも、葛城を舞うに当たってわざわざ醜い面をつけるという事はしない。
醜さは、恐らく思い込みだと思う。
葛城の神が何故そう思ってしまったのかは原因はわからない。
けれど、人ってしがらみと思い込みで出来ているのではないか。
育った環境、家庭の事情や教育によって自分という存在が作られ、それが自分という容器を形作っている。
容器があるから自分といえるのだし、その容器からはみ出す事はそれまでの自分を否定することのようでちょっと怖い。
でも、容器から出るのではなく「容器を広げ続けよう。」と考えてみるとどうだろう。
しがらみや思い込みをどんどん捨てて。
きっともっと違う世界が待っている。
[3回]
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